インタビュー

澤野眞一インタビュー

自然の流れを受け入れる考え

私は、人間も動物も自然の一部だと思っています。つまり環境を構成する生態系の一部なんですね。
よく『人VS自然』みたいに対立化して考えがちですが、勿論ある点にポイントを絞って物事を整理する時などその考え方が必要な事もありますが、それは『対比』であっても『対立』ではないと思っています。
以前よく環境破壊、温暖化、地球が危ない!という話がありました。まるで地球が危ないといわんばかりでした。

でも実際には地球は何も危なくはないんですよ。
人間がいない時代に地球はありましたし、人間がいなくても植物や生き物が地球上にいたことを疑う人はまずいないでしょう。今後人間が絶滅しても地球は常に変化をしながら在り続けるでしょう。つまり、危ないのは地球ではなくて地球上の生き物ということなんですね。
それに、地球の中で一番の新参者は人間ではないかと…。だから環境に対して支配的で傲慢ではいけない。そういう考え方が根底にあります。

常に変化し続ける作品

子供の頃から自分はどういう大人になりたいのかと考えていました。
日々の生活で、人に出会い、教えを受けたり、山に登ったりして、さまざまなものに触れて、徐々にこのような考え方が出来上がったのだと思います。
その考えの上で「建築」というものを創っていきたいと。そして、それはどの様『かたち』になるのだろうか?と思っていましたし、今も思い続けています。
もちろんプロとして美しいもの、カッコイイものを創ることはあたりまえとしてあります。中学生のころから彫刻をやりた思っていましたから、美しいかたちに対する欲求は強いと思います。
しかし、かたちだけ美しいものを創ることは最終目的にしてはいません。
特にここ10年くらいは、強くそう思います。
『全てが自然の流れの中にある』と思えると、いい意味であまりかたちにだけ執着しなくなります。
かたちだけにこだわると、それを固定化したくなりますが、変わっていくということを認める自分がいることによって、執着に足を引っ張られなくなります。
つまり、『変化していく状況を楽しめている』と思うようになったんです。そうなると、自然と色々な良いものに出会えるようになるんです。
時々、女性雑誌で「私は変わらない」「影響を受けない自分」みたいなタイトルを見ることがあるんですが、「自立している女は変わらない!」みたいな(笑)。
私は、自分が変わって行き、成長させることによって、自分の変化を確認しつつ楽しめるように努めているつもりです。
ちょっと話はずれますが、昔、有名なアーティストが「あなたの作品で最高傑作はなんですか?」と聞かれたときに「次に描く作品です」と答えていたんですよ。
その話を聞いた時の感覚を今でも覚えています。
『次に描く作品にむけて、より良いものに変わっていく自分でありたい』
建築の場合、さまざまな前提条件によって大きく規定されますので、次に創る建築が最高傑作とはすべて言いがたいですが、あくまで創る姿勢として、そのことは常に頭の片隅に置いています。

それが「行き詰まり」というのかはわかりませんが、休憩をするときはありますね。
立ち止まって考える、というか。そのときでも、常に前を向いて後ろも確認しながら休憩しています。感情をできるだけ排除して、なるべく客観的に自分を見ることを心がけています。
例えば、建築とは全く関係ないことをするのもいいですね。でもやはり、『創る』という行為からは離れないので、料理が良い例です。
包丁を持たない日は出張や旅行に行ったときぐらいなど、ほとんど毎日やっていますね。
「できたらいいな」はありますが「出来なくてはいけない」というのはありません。条件・状況によってできる時とできないときがあります。それもプロセスのひとつですから。
だからなのか、私は「〜べき」というような固定され、決め付けてしまうような表現は出てこないんです。

建て主さんの潜在的な生活スタイルを見つけること

例えば、風邪をひいたとき「ビタミンC」を取りなさいと言われることがあります。
それは、リンゴでもみかんでも、イチゴでもいいと思うのですが、「今はみかんが旬だからみかんを食べなさい」、あるいは「イチゴの方が小さくてビタミンCが多く取れるからイチゴを食べなさい」という考え方を押し付ける事はしません。
大切なのは、『体の回復力を強めることや疲れを取ること』なのですから、それに効果的なビタミンCであるならば、その時の旬がイチゴだとしても、それ以外が×というわけではないんです。


物事には必ずいくつか方法、選択肢があります。だから、その人に一番必要で受け入れやすいものを見つけ出して提案することがクリエイターとして、プロとして大切なことだと思うんです。
つまり、私=建築家の好みを強制するのではない、と思っています。
私の好みと建て主さんの好みが、打ち合わせのプロセスを得て一致することも良くありますから「この空間構成があなたには合っている」という提案はお話していくと必ず見つかってきます。


例えば、「日中日当たりがよいから南向きに建てる」というのがすべての人にとって最良の解答とはかぎりません。
そこに住む人が朝型の人だったら朝日が差し込む部屋にする。逆に夜型だったら朝日の差し込む部屋は×、というよう

に真逆の判断になります。
丹念に話をお聞きすると、その人がどういう生活スタイルを持っているのかがわかってきます。
自分自信が受けているストレスに気づかない方もよくあります。そういった、建て主さんの潜在的な思いを見つけることが大切なんです。
なので打ち合わせは建築の間取りだけの話ではないんです。
住宅の場合、プライベートな部分にかかわることも多いので、
家が一軒できると「友達家族」がひとつ出来たような感覚になることもありますよ。

人間の「空間感覚」と家創り

住む人の生活スタイルを見つけ出したら、次はそれを「間取り・寸法」という数字に置き換えていくことが僕らの最終的な仕事です。
「何かわからないけどこの部屋に居ると気持ちがい、気持ちが悪い」と漠然と感じる感覚はその空間のプロポーションが大きく関係しているんです。
人と空間の絶妙な感覚、これを「ヒューマンスケール」と呼んでいます。
昔から、最も美しい縦横比率と言われる比率は「1:1.618・・・」だと言われてきました。この比率で設計されたものを見ると美しい、気持ちがよく感じる。
この比率は黄金比でヨーロッパの考え方なんですが、私の場合この比例にすべて当てはまらないんですよ(笑)。すべてこの比率でデザインするとなぜか居心地が悪くなることが間々あります。

うちの事務所のロゴマークを見てみてください、家と窓の比率は黄金比ではないです。「大和比(1:√2)というもので構成されています。「大和比」は日本人の感じる美しい形なんです。日常的に使っているノートの比率もほとんど大和比です。
でも、この大和比だけで建築空間を創るとちょっとずんぐりむっくりと感じることもあります。大和比をファンデーションに置きながら、それだけでは納まらない、どこかで黄金比がほしいと思う感性が私にはあるようです。
このように、文化や生活習慣が違うそれぞれの民族の中で、感じる感覚は微妙に違うことがわかっています。
たとえば人と人の距離感でいえば、バスなどを路上で待つ人の間隔がヨーロッパの人たちは比較的空間を空けて並んでいるのに対して、日本人はとても近いんです。
ヨーロッパの人が日本のこの距離感に入ったら自分の領域に進入してきたように感じるでしょう。
これは、民族的なバックグラウンドが大きく関係していると思うのですが、とても面白い習慣です。電線にとまっているすずめたちの距離もなぜか同じ間隔です。

それがそれぞれの生き物の空間感覚なんですね。


これらの事を頭に置きながら、三次元空間に置き換えていきます。ですから、「子供が二人だから、子供部屋は6帖二つですね」「リビングは12帖くらいになりますから十分な広さですね」なんていう数字だけで決めていくことは、あり得ないんです(笑)。
まして、何LDKの家だから広くて立派とかその逆もしかり、です。ちなみに私の自宅は1LDKですが床面積は30坪です。
明確な目的を持っている施設は決まった寸法がありますが(例えば、ビジネスホテルは15平米で抑えるなど)住宅に関しては、全くそれに当てはまりません。


「要望」「住む人の習慣」「立地条件」「環境」「無意識に感じる空間感覚」など様々な要件をうまく組み合わせながら、
この世にたったひとつの空間を創り上げていく。


建て主さんと一緒に創り上げていく住宅だからこそ、創ることに喜びを感じているのだと思います。

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